最上駅のあった山形

 笹谷峠にトンネルが開通しました。それは山形、宮城、両県人の久しい間の待望でした。

 けわしい山道だけれど近いが故にそこを越え、とても難儀をして「うやむやのせき」などと嘆かれた古来の通路だったのです。

 でも平安時代の延長五年(927)に成った「延喜式」兵部省の諸国駅伝馬の項によると、峠の向うの街道には、柴田-小野-名取-玉前 などの駅(うまや)があり、峠のこちら側には、最上-村山-野後(のじり)-避翼(さばね)などの駅がありました。

 その小野駅は、今の宮城県柴田郡川崎町、それから最上駅は今の山形市にあたるものとされていますが、この両駅をつなぐ往来、すなわち天下の官道が笹谷峠であった訳であります。

 それは今年から数えて千余年も昔のことでありますが、小野駅には駅馬が十疋配されており、わが最上駅には駅馬が十五疋と伝馬が五疋(合計二十疋)配されたのを見ると大駅であったことがわかります。

 さて、その最上山形にお城が築かれたのは、それから余程あとで、南北朝時代の延文二年(1357)のことと伝えられております。

 築城の主は最上家の先祖となる斯波兼頼(しばかねより)とされておりますが、奥州大崎(宮城県加美郡中新田町)より赴任してこの地を領し、ここに築城したというのが定説になっております。


昭和61年8月10日発行
「ふるさと山形(2)城下町山形」
先代 武田好吉 著
(S56.9-S58.8 市報「広報やまがた」掲載)
 
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