高原古墳

古墳を発見
 昭和二十四年一月二十四日、雪の少ない冬でありましたが、鈴川実業公民学校の女生徒に乞われて、古代の土器が散乱しているという高原の山麓を調査していて偶然に発見したのが此の高原古墳であります。

 それは高原と青野の境にあたる小山崎という処で、平らで大きな石につき当りそれを地元の青年団や友人達の手をかりて発掘し、はじてめ其処が古墳であり、その大石は石棺の蓋石の一枚であることが分ったのでした。

 長さ260cm・幅70cm・深さ50cmにおよぶ大きな石棺で、蓋石は六枚でありました。

 中から何か出ないかと、みんな注意して掘っていきましたが何もなく私はさびしさにおそわれ、
 遠き代 のかしこき人か 此の丘に
  葬むられしを しるしだになし
とうたって合掌いたしました。

 早速、県から川崎浩良、佐藤栄太の両先生が調査にきてくれ、更に五月十五日には文部省から枝官の斎藤忠先生が調査に来てくれ、貴重な遺跡として文部省の仮指定史跡になりました。

高原地方は古代人のメッカ
 その後、その東方からも三基の古墳(石棺)が発掘され、鉄簇や管玉なども出土しました。

 それから高原の上ノ原からも石棺が発掘されました。考えてみると高原地方には、もっと沢山の古墳が造営されたものと思われます。

 高原古墳と上ノ原古墳は、私たちが努力して柵をめぐらせて保存してありますが、その他のものは姿を失ってしまいました。

 この高原(昔は植野)の北隣の青野からも古墳が発掘され、さらに有名なお花山古墳群につづいていますが、この墳墓のつくられた七~八世紀(飛鳥・奈良)頃のわが郷土を考える大切な遺跡でありますが、もっと発見される可能性もあり、もっと時代をのぼることも考えられます。


昭和52年9月2日発行
「ふるさと山形(1)鈴川のさと」
先代 武田好吉 著

 
:arwright: トップへ
:arwright: 会社案内 :arwright: 事業内容 :arwright: 企業沿革 :arwright: 設備
:arwright: サイトマップ :arwright: お問い合わせ
Total337883 Week394 Yesterday064 Today038 IP check in 30 min Since 2010-06-12