山家氏と館山

 昔から「山家の館山には山家河内守という殿様がおった」と語り伝えられてきました。

 しかし長い年月の波に洗われて其の証跡は何ものこっていません。

 ところが鉄砲町の光禅寺の開基、山形城主最上義光の墓前に、四人の殉死者の墓がたっていますが、その中の一基が山家河内守の墓であります。

 「即永了心居士」の戒名と「慶長十九年二月六日酉刻追腹」「源義光家臣、山家前河内守」と彫られています。

 即ち山家河内守は、山形城主最上義光(五十七万石)の家臣で、主人の義光が亡くなったとき殉死したことがわかります。それは桃山時代で慶長十九年(一六一四)二月六日、今から三百七十年も前のことであります。

 いろいろな書によると、山家城は山形城を守るいわゆる最上四十八楯の一で、その領知は三千石であったとも書かれています。

 しかし館山の山つづきの麓に金勝寺という有名な寺があり、そこに山形二代の城主斯波直家の墓がありますが、どうして山形城主がここに葬られたのか、其の辺の事情が不明です。そして主人義光に殉死までした山家氏の一族がどうして地元にのこらなかったのか、その歴史の謎を解こうと私たちはいま大いに努力しているところです。

 山家氏を名乗る人々は全国各地に居りますが、みんなヤンベと称しており、山家を名乗ることを誇りとし、みんな祖先の古里を慕っています。

 地元でも伝統を重んじ、山家町と山家本町をのこしたことは大変意義ふかいこどだと思います。



昭和52年9月2日発行
「ふるさと山形(1)鈴川のさと」
先代 武田好吉 著

 
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